岩重 礼(いわしげ あや)

鹿児島県立鹿児島中央高校(32期生)
北九州市立大学法学部行政学科 卒業
8月27日生まれ

大学卒業後、私はいわゆる絵に描いたような「普通であることを願う社会人」でした。
ぼんやりと大学を出て社会人となり、結婚・出産を経て子育てに追われながらも家事と仕事を両立させて…なんて考えていた20代前半でしたが、出産後3ヶ月目。「そろそろ会社に戻ってほしい」と声がかかったところからから怒濤の社会人生活が始まります。
社会人生活はとても忙しいものでした。
働くため、私は生後3ヶ月の子どもを保育園へ預ける。その後職場へ。母乳しか受け付けなかった我が子のために休憩の合間に保育園へ。
そんな生活が始まり間もなく、子どもは生後3ヶ月で喘息にかかってしまいました。子どもだけ入院させるわけにいかず、母子ともに入院。私は病院から職場に通う生活が始まりました。退院後、すぐにまた保育園へ。そしてまた入院…。そんな生活が続き、我が子には3歳までに17回の入院を経験させてしまいました。子どもの身体はぼろぼろ、私も仕事と病院の行き来で睡眠もご飯もまともにとれない。このままではいけないと感じた私は仕事を辞め、その頃倒れた祖父の介護をしながら家庭に入ることにしました。
この頃、健康保険の医療制度や介護保険の制度、また失業の際の給付制度などに触れ、「社会保険労務士」という資格を知りました。
学校の科目では習ったこともないが、自らが生活していくために知っておかなければいけない制度。
知れば知るほど、それはまるであたかも台所の調味料のように生活の中に存在しており、
存在を知っているだけでは足らず、いかに組み合わせて使っていくべきかを学んでいるようでした。
それから数年。私はサラリーマンとして働き始めました。社会保険労務士事務所や公共職業安定所での嘱託勤務などを経て、8月27日、自分の誕生日が試験日であった年にこの資格を取得しました。
私は、社会保険労務士は「企業における家政婦(または母)」という位置づけがあてはまると考えています。
「企業」という家庭の中で生きる「従業員」という家族を守る。
家庭のルールは様々です。
企業のルールも様々です。
いかに舵取りをして家族である従業員とともに社会を乗り切っていくか。
そのための一助でありたい。
母として、社会保険労務士としてそう願っています。